道幅
2025/12/08updated: 2025/12/09
多摩の右端、調布市で育った。
隣は世田谷区なれど多摩は多摩。よくある昭和・平成期の平凡な、田舎でもない都会でもない街だった。
小学校から自宅まで、直線では移動できない位置関係にあった。
右の坂を下っていくか、左の道か、どちらかから回り込むように移動しなければならない通学路だった。
右の通学路の方が幾分か近かったことと、右の通学路で通る裏路地が気に入っていたので右を選びがちだったような気もするが、もう記憶は霧の向こうにあるようでよくわからない。
左の道を進んだ場合、文房具店のある場所で右折してしばらく進み、京王線の踏切を越え、少し広い道までしばらくまっすぐ進む必要があった。ふと、この踏切を越える道が車が通行可能な道幅だったかそうでなかったかが、なぜだか気になった。
先日たまたま調布市の話題に触れたことであの頃を思い出し、なぜかあの道が目に浮かんだ。そして、不意にそんな疑問が頭の片隅に住み着いた。
Google Map で確認すると、あの踏切は地下道になり、なくなっていた。右の坂を下っていく通学路にあった細い裏路地も車1台は通れる幅に拡張されていた。おそらく防災の兼ね合いだったりとかそういうことだろう。
黒いランドセルを背負った小学生の私が踏切の中央に立つ。多摩川方面の線路に目を向けると、左はただの空き地で右は広い畑があるだけで、周りに背の高い建物はない。線路の先に陽のしずむ空がパノラマに広がり見えていた。
裏路地には隣接する住人が植えたであろう野菜や草花が生え、路地の隅の木々が鬱蒼としたところには雨に打たれて腐った週刊誌やエロ本が転がっていた。
あの道を私は歩いていた。